つぶやきといふ名のぼやき
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五月の新橋演舞場は、待ちに待つた(?)播磨屋の伊右衛門である。
さう、かねてから、「絶対播磨屋で見たい」と思ひつづけて幾星霜。やつと夢がかなふのである。 さて、そんなわけで朝から座席確保に乗り出したのだが。 席はまあまあ。勝つたといつてよい。 問題は日にちだな。 できれば楽に近い日がよかつたのだが。 ……うーん、なにかとままならぬ。 まあ五月は歌舞伎座の夜の部も楽しみなので、そちらを楽に近い日にするかなあ。 しかしなかなか「完勝」といふわけにはいかないなあ。 PR
完全勝利の来月の歌舞伎座なんだが。
しかし、演目・配役は……むう。 昼の部、「春の寿」をもつてくるよりは、中幕で音羽屋がたつぷり踊つた方がいいんぢやなからうか、とか。 わかつてゐる。やつがれの趣味は保守的に過ぎる。 でもかういふことを云ふてもよいのではないかとも思ふ。
あの年代はさうなつてしまふのだらう。
まちつとはじけてゐるといいと思つてゐたが、これはさう考へた方がよささうだ。 雪姫のかはゆらしげなこと。きまつた形のきれいなこと。 中村屋は囲碁を打つか。手つきはよかつた。目線などが打つ人のそれでないことはまぁ致し方のないことかもしれない。 なぜか好きな切られ與三。しかしなんだかぴんとこなとつつころばしを足して二で割つたやうな趣。切られてからはよかつたので、今後に期待か。 お富さんは声の抑制はきいてゐるものの箱のせゐもあらうが多少きんきんするところに若いころの成駒屋を思はせるものあり。 最後は與三郎とお富の誤解の解けるところで終はるが……多左衛門がお富の兄とわかるところで終はつていいのに。蛇足。チト残念。 とにかく浅草公会堂には行くべし。
初春から歌舞伎座で播磨屋を見られるうれしさよ。
しかし五幕とはチト多すぎやしないか。 はつきり云はう。多すぎる。 「猩々」のやうな松羽目ものはどうしても必要ならば、まちつと所作のよい役者を出したらどうだらう。形式主義でいいといふのなら仕方ないが、なんとももつたいないことである。 「一条大蔵譚」は、「芝居を見たなあ」といふ気持ちにさせる一幕。澤瀉屋にせりふが入つてゐないのが残念。隣に座つてゐた母娘が、成駒屋は聲が悪くなつたと云つてゐたが、いつたいこの人たちは何を聞いてゐるのか。成駒屋は聲がよくなつたのである。いやさ、いろんな聲が出るやうになつたのである。若い頃は高くてきんきんした聲しか出なかつた(あるいはさういふ聲になりがちだつた)が、これが見事に矯正されたのである。今や武家の奥方なんぞで出てきてもぴつたりな聲が出るやうになつたのである。かういふ客がゐるからダメなんだよ。 ともあれ、播磨屋である。このほどのよさ。うーん、いい。何度でも見たい。そんな大蔵卿。 「女五右衛門」。やるならちやんと科白の入つた状態で、と云ひたいなあ。だつてわざわざ京屋のためにあつらへた一幕なんでせう? なにを云つてゐるのやら、さつぱりわからないし、段取りすらも覚えてゐなかつた模様。おつきあひで播磨屋の出るぜいたくな一幕。 「魚屋宗五郎」。高麗屋の宗五郎は、「ああ、きつと宗五郎といふ人はかういふ人だつたんだらうなあ」と思ふ。初演の時がさうだつた。「高麗屋の宗五郎?」と思つたが、見て認識をあらためた。なんといふか、まじめな人なんだな、根は。酒乱だけど。義理堅くてさ。さういふ感じがよく出てゐる。染五郎はもともとの聲がよいのだから、もつと鍛えたがよい。いつもいつも同じ聲ぢやいかんよ。 「お祭り」。「待つてました」の大向かうの聲が比較的気持ちよくきまつた一幕。 初春だといふのに、なんだかマナーの悪い客が多くてがつかり。「女五右衛門」の時なんぞ、大薩摩の最中だといふのにべちやくちやべちやくちやしやべつてゐる。ああいふ時にたれか注意してやれよ、と思ふが……まあ云はなきやわからないやうぢやなあ。 と、暗澹たる気持ちになることも。
おもしろかつたからよしとしてもいいが。
しかし、歌舞伎座にかける必要があるのかどうか悩む「ふるあめりかに袖はぬらさじ」。 せいぜい演舞場ぢやあるまいか。 ま、いいけど。
しかし成田屋はまちつと世話な感じの丸本声を鍛えた方がよささうな。
戸浪はなりの大きさに相違のこまやかな感じがよい。 中村屋は……うーん、松王には迫力がいまひとつか。成駒屋、泣きすぎなければ最高なのに。 しかしなにを云ふても寺子屋だから。うむ。 好きだなぁ、寺子屋。
中村屋でもようやらぬ大和屋との所作事。
よく承知したなぁ、成駒屋。 しかも並んでほとんど同じ振り。 単なる腕の上げ下げ、足取りのひとつひとつの差がまるわかりの「粟餅」だ。 うーん、勇気はかはう。
配役がどうにもねえ……
「種蒔三番叟」 歌舞伎座つて広いのね、やつぱりね。 そんな印象を強くもつた。 来月筆幸やるけど、大丈夫なのかな、こんなに広くて。 「傾城反魂香」 だから播磨屋に吃又なんてつまんない役やらせるなよ……。わかつてないなあ。 とはいへ、これもいつも書くことだが、播磨屋だとあの世にもつまらない吃又がおもしろく見られてしまふのだからふしぎである。 でも頼むからもういいよ、播磨屋の吃又は。 萬屋の雅楽之助、あひかはらず花道できまつた姿のほれぼれすること。 京屋のよきこと。 将監奥方の滋味。 これまた例によつて物着の合方でなんとなく楽しい気分になつて終はる。 「素襖落」 はじめて歌舞伎座に来た時にやはり高麗屋で見た演目。この時大名は死んだ橘屋で、姫御寮は萬屋だつた。 高麗屋の真面目つぷりの生きる一幕。 「御所五郎蔵」 だからねー、松嶋屋で江戸の世話物を見たいとは思はないんだよねー。なんかもつとほかのものが見たいわけよ。 しかも五郎蔵、今まで見て「いい」と思つたことが一度もない。あ、松嶋屋で、てーんぢやなくてね、ほかの役者で見ても、だ。これは髪結新三もさう。たれで見ても一度もいいと思つたことはない。いつたい五郎蔵や新三のどこがいいんだらうね。 もとい。 とはいへ、すつきりとやうすのよい五郎蔵ではあつたが……。 成駒屋はあはれな感じがよい。 土右衛門は今のところこれ以外の配役は考へられないか。 といふわけで今日の手ぬぐひは播磨屋格子。
「なんでヲレはこんなにイタい芝居を見てゐるんだ」
初演のときもさう思つた。 そして今回も。 だが今回はそれだけではなかつた。 見に行つた甲斐があつた。 こんなことなら古田新太のスタンリー、なにがなんでも見るんだつたなぁ。 今日の手ぬぐひは千鳥足。
なんで「芸術座」ぢやいけなかつたのかのう。
http://www.asahi.com/culture/update/1107/TKY200711070037.html 「シアタークリエ」。かるっ。 ろくな芝居はかかるまいな。 そんな名前だ。 |
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