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つぶやきといふ名のぼやき
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初春から歌舞伎座で播磨屋を見られるうれしさよ。

しかし五幕とはチト多すぎやしないか。
はつきり云はう。多すぎる。

「猩々」のやうな松羽目ものはどうしても必要ならば、まちつと所作のよい役者を出したらどうだらう。形式主義でいいといふのなら仕方ないが、なんとももつたいないことである。

「一条大蔵譚」は、「芝居を見たなあ」といふ気持ちにさせる一幕。澤瀉屋にせりふが入つてゐないのが残念。隣に座つてゐた母娘が、成駒屋は聲が悪くなつたと云つてゐたが、いつたいこの人たちは何を聞いてゐるのか。成駒屋は聲がよくなつたのである。いやさ、いろんな聲が出るやうになつたのである。若い頃は高くてきんきんした聲しか出なかつた(あるいはさういふ聲になりがちだつた)が、これが見事に矯正されたのである。今や武家の奥方なんぞで出てきてもぴつたりな聲が出るやうになつたのである。かういふ客がゐるからダメなんだよ。
ともあれ、播磨屋である。このほどのよさ。うーん、いい。何度でも見たい。そんな大蔵卿。

「女五右衛門」。やるならちやんと科白の入つた状態で、と云ひたいなあ。だつてわざわざ京屋のためにあつらへた一幕なんでせう? なにを云つてゐるのやら、さつぱりわからないし、段取りすらも覚えてゐなかつた模様。おつきあひで播磨屋の出るぜいたくな一幕。

「魚屋宗五郎」。高麗屋の宗五郎は、「ああ、きつと宗五郎といふ人はかういふ人だつたんだらうなあ」と思ふ。初演の時がさうだつた。「高麗屋の宗五郎?」と思つたが、見て認識をあらためた。なんといふか、まじめな人なんだな、根は。酒乱だけど。義理堅くてさ。さういふ感じがよく出てゐる。染五郎はもともとの聲がよいのだから、もつと鍛えたがよい。いつもいつも同じ聲ぢやいかんよ。

「お祭り」。「待つてました」の大向かうの聲が比較的気持ちよくきまつた一幕。

初春だといふのに、なんだかマナーの悪い客が多くてがつかり。「女五右衛門」の時なんぞ、大薩摩の最中だといふのにべちやくちやべちやくちやしやべつてゐる。ああいふ時にたれか注意してやれよ、と思ふが……まあ云はなきやわからないやうぢやなあ。
と、暗澹たる気持ちになることも。

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