忍者ブログ
つぶやきといふ名のぼやき
[17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

なんだらうかなあ。

兜率天で修行中の弥勒菩薩は、修行してゐる最中に救ふべきものを失つてしまふのではないか。



まつたく信仰心のないやつがれだが、時々そんな気分になる。

五十六億七千万年後だなんて、あまりにも先すぎる。



それでも、まだ少しだけ、希望をいだくこともある。

たとへばバスの列に並んだおばあさんがかばんを置きつぱなしにして、ちよつと列をはなれた場合、たれ一人かばんに手をつけやうといふ人がゐないなんてな時。

置き忘れた書類がそのまま残つてゐたやうな時。



まだ世の中捨てたもんぢやないんぢやないか、と、ほんの少しだけ思ふ。

そして、かういふことつて信仰心とはなんら関係がない。



だから世も末なんてのも、気のせゐなのかもしれない。

こちらの心の持ちやうひとつのことで。
PR
Die PrinzenのCD購入。ものはMonarchie In Germany。今頃?といふ話もあるかもしれないが、なかなか都会に出ないので手に入らないのである。



たま〜にCD全体として「ん?」といふものもあるけれど、これには満足。「Regen」とかいいね。



Die Prinzenはコンサートに行つてみたいほぼ唯一の歌ひ手かもしれない。

行きたい行きたいと思つてゐた演奏家・指揮者たちは次々とあの世へ行つてしまふ。

せめて彼らは、と思ふのだが……さて。
前々からさうは思つてゐたけれど。

ほんたうに、時々「まさか、これが文庫にっっ」といふやうなまんががある。



中には「文庫化は早過ぎるんぢやないか?」と思ふやうなものも多いが、「うわつ、これつ、まじっっ」といふものもある。



川原泉の新刊がなかなか手に入らないので、ついむかしなつかしまんがを買つてしまつた。

中に一冊、川原泉が解説を担当してゐるものがあつたよ。
基本的に我が家では中田功七段はとても人気がある棋士なのだが。

♯ひとり振飛車党で大山康晴名人の大の贔屓がゐるので。



今、一丸となつて千葉涼子女流王将を応援してゐる。



まあとつくに終はつた対局なんですけどね。
はじめてソフトバンクの寺原投手をTVで見た時、「なんか妙だな」と思つた。

あ、別段「へんな顔をしてゐる」とかさういふ失礼なことではない。

しかし、なんとなくartificialな印象を受けた。

当時寺原投手はまだ高校生だつた。

何度かインタヴューに受け答へする姿を見て、ある時はたと気がついた。



眉毛が異様に細いのである。



そこにはなにか手を加へてゐるといふ感じがした。

男性も眉毛を抜くやうになつたとは聞いてゐたけれど、高校球児までやつてるなんて……と感慨深かつた。

こんなことを書くくらゐだから、好印象を受けたとはいへない。



こんな記事があるけれど、これはやはりさうした生徒を見て「なんかヘン」と思つた人が決めたことなんぢやないか。



これまた別に、高校球児に眉毛を抜くなといつてゐるわけではない。

抜くんだつたら自分に似合ふやうな眉毛をひけ、と云ひたいのだ。

みんな同じ形にして、それぢやあわざわざ抜いて形をととのへる意味がないではないか。



「おしやれ」てはさういふことなのではないか、と、「おしやれ」からはほどとほいところにゐるやつがれに云はれたかないか。
無理はすまいと思ひつつ。



気がつくと、無理ばかり。

そらーなにもよくなるわけがないよなあ……。



しかし、どうやら周囲には「なまけもの」と思はれてゐるやうだ。

仕方ないよな。やつがれだつて傍から見たらさう思ふもの。
そしてやつがれがついていけてないだけなのか。

と、がつくりした朝のこと。



家からバス停に向かふ途中、テレビがいかにも好みさうな「今時の若い娘」がふたり、道路にべつたりと腰をおろしてゐる。なんとか路肩によつてはゐるものの、そこは「道路」。

ちなみにやつがれ、今朝はちよつと遅くて六時半頃家を出た。つまり彼女たちはとても早起き。

…………ぢやなくて、きつと夜つぴて一緒だつたのだらう。



ここのところかばんがどーのくつがどーのと書いてきたが、つまりやつがれが世の中から遅れてゐるだけなのだらう。今の若い人はみんな(とは云はないが)地面にべつたり座りこんでまつたく問題ない、平気の平左なのである。



あ〜あ。
夏休みである。

日中バスや電車に乗ると子連れがたくさんゐる。



今日もやられてしまつた。

靴を履かされたままおんぶされてゐる子供に蹴られてしまつたのだ。しかも一度ならず何度も。



子育てとは、さうしたことに無頓着になつてしまふほどの難事なのだらうか。

かほどに難事と感じてしまふ、そんな人間に親になる資格はあるのか。



そんなこと云つてるゐるから少子化が進む? はたしてさうかな。



しかし。

思ひ返してみれば、以前病院で見かけた親子は裕福さうであつた。

妻が抱き上げた子の靴をすかさず脱がせる夫の姿を見た時、かうなうてはと思つた。

この男性、おそらくやつがれより若かつたと思ふが、人品卑しからぬ人物だつた。



なるほど、貧すれば鈍すといふことか。
なんで都道府県が必要なんだ?

はてながさうだから?

ふしぎである。
略して「ケータイの待ち受け」。いや、あんまし略すの好きぢやないんだよね。



これまで見た「ケータイの待ち受け」で一番なのは、友人のインコの写真。

これがもうおそらくはベスト・ショットではないのかといふくらゐかはいくてなー。目がつぶらでさー、もーかはいーのなんのつて。

なんか機会ある毎に見せてもらつてゐた気がする。



一番怖かつた待ち受けは歌舞伎座の客席で見かけたもの。

ある年の初春興行で高麗屋親子の「連獅子」が出たんだが、これがもう空前絶後といふくらゐ最悪の出来でな。

幕の降りた後、思はず「サイテー」と云ひかけたやつがれの口を閉ざしたのは目の前の席に座つてゐたおねーさん。

「ああ、今日はナントカ(よくわかりませんでした)のところができててほつとしたわー」とかもうわが子を見守る母のやうな口調で興奮して仰つてゐるではないか。

ふとその手元を見たら、ケータイの待ち受けが染高麗。



いやー、口は禍の元つてほんたうだな。



今日、駅のエスカレータをくだつてゐたところ、目の前のサラリーマンとおぼしきおにーちやんの待ち受け画面がまたすてきだつた。

猫の写真。ちよつとカボチャといふかパンプキンといつた色合ひのかはい子ちやんだつた。

飼猫だな、おそらく。

「もつと見せて」て頼みたくなるくらゐばつちりカメラ目線だつたよ。



ちなみにやつがれの待ち受け画面は大抵「紳士棋士」。

今はちがふけどね。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2025/02 03
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Garyo
HP:
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索